大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和54年(ネ)212号 判決

控訴人

平野テル

外七名

控訴人ら訴訟代理人

大隅乙郎

被控訴人

太田穣

外一名

被控訴人ら訴訟代理人

水上学

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  求める判決

(一)  控訴人

原判決中主文第一項の全部及び第二項中被控訴人らと控訴人ら間において原判決添付目録第二記載の債権のうち八五五万二三七七円を超えて、これが被控訴人らに帰属することを確認する部分を取消す。

前項の取消部分に関する被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

(二)  被控訴人ら

主文第一項と同旨。

二  主張

(一)  被控訴人ら

「請求原因」

1  原判決添付目録第一記載の土地(以下、本件土地と略称)はもと掘籠エイ(以下、エイと略称)の所有であり、またエイは同目録第二記載の債権(以下、本件債権と略称)を有していた。

2  エイは昭和四八年二月五日、被控訴人らに対し本件土地、本件債権を死因贈与することを約していたところ、昭和五二年四月二〇日死亡したので右贈与はその効力を生じ、被控訴人らは本件土地、本件債権を共同取得(その持分は各二分の一)した。

3  ところが本件土地につき東京法務局港出張所昭和五二年九月一七日受付第二一三八一号にて控訴人平野、同太田の持分各五六〇分の二〇、控訴人河内、同福井の持分各五六〇分の七〇、控訴人山本、同豊田重美、同荻田、同豊田省三の持分各五六〇分の三五とする所有権移転登記がなされており、また控訴人らは本件債権が被控訴人らに帰属していることを争う。

4  よつて本件土地につき真正な登記名義の回復のため控訴人平野、同太田はその各持分五六〇分の二〇の二分の一づつを、控訴人河内、同福井はその各持分五六〇分の七〇の二分の一づつを、控訴人山本、同豊田重美、同荻田、同豊田省三はその各持分五六〇分の三五の二分の一づつをそれぞれ被控訴人らに対し移転登記手続をなすことおよび本件債権が被控訴人らに帰属することの確認を求める。

(二)  控訴人ら

「請求原因に対する認否」

その1は認める。その2のうちエイが昭和五二年四月二〇日死亡したことは認めるが、その余は否認する。被控訴人ら主張の死因贈与契約に関して作成された書面(甲第一号証の一、負担付死因贈与契約書)のうちエイ作成名義部分は偽造されたものであり、契約は成立していない。またかりに右契約が成立したとしても、本件債権中には契約がなされた昭和四八年二月五日以後に発生したものが含まれているから、エイの死亡により本件債権がすべて被控訴人らに帰属することはない。その3は認める。

「抗弁」

1  取消

(1) エイは昭和五〇年五月一七日頃、(民法五五四条が準用する同法一〇二二条により)本件死因贈与契約を取消した。

(2) エイは昭和五一年七月頃、本件死因贈与契約と抵触する訴外太田実宛の遺言または死因贈与をなしたから、(民法一〇二三条により)本件死因贈与契約は取消されたとみなされるべきである。

2  解除

(1) 本件死因贈与契約には被控訴人らにおいてエイの生活費、医療費、家政婦代を負担し、かつエイを看護、救護する負担が付せられ、被控訴人らがこれを怠つたときは贈与契約を解除することができる旨約されていたが、被控訴人らは右費用の支払をなさず、また右看護、救護を怠つたため、エイは昭和五二年四月二〇日、失火により死亡した。

(2) エイの死亡により、控訴人らはそれぞれ相続人として右死因贈与契約上の地位を承継した。

(3) そこで控訴人らは本訴(昭和五三年一一月二七日の原審第一〇回口頭弁論期日)において、前記約定解除権に基づき、本件死因贈与契約を解除する旨の意思表示をなした。

(三)  被控訴人ら

「抗弁に対する認否」

その1の(1)、(2)は否認する。その2の(1)のうち本件死因贈与契約が負担付であり、解除に関する約定が付せられていたこと、エイが昭和五二年四月二〇日、失火で死亡したことは認めるが、その余(負担内容を含む。)は否認する。その2の(2)、(3)は認める。

三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1は当事者間に争いない。

二〈証拠〉によると、

エイ(明治三二年一月一五日生)とその夫堀籠一郎は昭和四五年一一月二四日、もと堀籠家の女中をしていた訴外山本サクとその夫啓一と養子縁組を結び、サク達は東京都港区白金台二丁目九番三〇号のエイ宅で同居生活を始めたが、昭和四七年五月一二日、一郎死亡後、サク夫婦とエイは不仲になり、同年九月一四日、協議離縁がなされ、サク夫婦は東京都目黒区原町に引越して了い、エイは独り暮しの身となつた。そしてエイには子がなかつたので、自分が一郎と結婚する迄同じ家で育つた甥の被控訴人太田穣とその妻である被控訴人太田静子に面倒を見て貰うかわりに、その全財産を右両名に死因贈与してもよい、と思うようになり、昭和四八年一月五日頃、エイ宅に年始のあいさつに来た被控訴人太田穣にそのように話し、自分の生活費は一郎が死亡後に鎌倉の所有地を処分した代金約三〇〇〇万円で賄うからその金がある間は金銭的に扶助してくれる必要はないが、心細いから近所に住んで何かと面倒を見て欲しい、という希望を述べた。当時、東京都日野市に住み、東映に勤務のかたわら自宅で下宿業を営んでいた被控訴人太田穣は妻静子と相談の上、右申出を受けることとし、契約書式全書を購入してその書式を参考にし、かつ勤務先の伊藤営業課長の助言をえつつ、本件土地および同地上の、その後焼失した建物、日本信託銀行五反田支店にあるエイの銀行預金並びに動産一切をエイは被控訴人らに死因贈与する旨の死因贈与契約書の原稿を自ら起草し、勤務先に出入りの印刷屋にそのタイプを依頼し、エイ、被控訴人らの住所、氏名もタイプされた昭和四八年二月五日付負担付死因贈与契約書(甲第一号証の一)を右日付の頃、エイ宅に持参し、同所でエイ、被控訴人らの三名は各自の実印を自己の名下にそれぞれ押捺したことが認められ、

右事実からすると、右契約書( 第一号証の一)の作成によつて請求原因2の本件死因贈与契約が成立したとみることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

控訴人らは右契約書(甲第一号証の一)のうちエイ作成名義部分は偽造されたものと主張するが、右部分も眞正に成立したと認められること右記のとおりである。また控訴人らは本件債権中には本件死因贈与契約成立後に発生したものが含まれているからエイの死因により本件債権がすべて被控訴人らに帰属することはない、と主張し、〈証拠〉によると、本件債権のうち原判決添付目録第二の二の(一)の各金銭信託および同(二)の証書番号三三三九四六の貸付信託は本件死因贈与契約が成立した後である昭和四八年三月一五日以後に預入れがなされたことが認められる。しかしエイが被控訴人らに対する死因贈与の対象としたものがその全財産であること前記認定のとおりであり、あまつさえその財産が預金債権のように発生、消滅などの変動が当然予想されるものであり、その債権が契約上、前記認定のように、銀行預金、という程度に特定、表示されているような場合には、死因贈与の対象となる債権は契約時のものではなく、むしろ死因贈与が効力を生ずる時点のものを指すと解するのが相当であるから、本件債権中、右認定のように昭和四八年三月一五日以後に預入れられたものもすべて本件死因贈与の対象となるといわざるをえない。従つてこの点に関する控訴人らの主張は採用することができない。

そしてエイが昭和五二年四月二〇日、死亡したことは当事者間に争いないから、これにより本件死因贈与契約はその効力を生じ、被控訴人らは本件土地、本件債権を共同取得(別段の主張、立証のない本件においては両者の持分は各二分の一と解すべきである。)したことになる。

三請求原因3は当事者間に争いない。

四以下、控訴人らの抗弁について検討する。

(一)  抗弁1の(1)を認めるに足りる証拠はない。

すなわち原審における被控訴人太田穣、同太田静子各本人尋問の結果によると、被控訴人らは胃腸カタルにかかつたエイの面倒を見るため昭和四九年一一月二四日からエイ宅に同居するようになつたが、昭和五〇年五月中旬、同居をやめ、被控訴人らは自宅に帰つたことが認められる。しかし右認定事実だけで右抗弁1の(1)を推認することはできず、ほかに右抗弁事実を認めるに足りる証拠はなく、かえつて右各本人尋問の結果によると、昭和五〇年五月中旬、被控訴人らが同居をやめ、自宅に帰つたのは、病気が治つたエイの指示によるものであり、その際、明示であれ、黙示であれ、エイは本件死因贈与契約の取消はしていないことがうかがえる。

従つて抗弁1の(1)は失当であり、採用することができない。

(二)  〈証拠〉によると、エイの甥である訴外太田実は若い頃、エイの世話になつたこともあり、エイ宅をしばしば訪ね、エイを見舞つていたが、昭和五一年五月上旬頃、エイから、預つておいてくれ、といわれ、エイが本文を自ら記載し、末尾に署名押印をなした作成日付の記載のない「遺言書」と題する書面(甲第七号証)を受領したことが認められる。

しかし右認定のように作成日付の記載のない右書面を形式上、有効な自筆遺言証書とみることはできないから、その内容を検討するまでもなく、エイが右書面により本件死因贈与契約と抵触する遺言をなしたとみることはできない。

尤も右認定事実からエイが本件死因贈与契約と抵触する生前処分をなしたとみる余地があり、前掲甲第七号証によると、右書面には全財産を訴外太田実に相続させる旨の記載があることが認められる。しかし同時に前掲甲第七号証によると、右書面には右のような記載がなされた直後に、訴外太田実には二〇〇〇万円贈るという趣旨のほか、医師に一〇〇万円、猫の供養料として一〇〇万円をそれぞれ贈与、寄進するなどの前後矛盾する記載がなされていることが認められ、また原審および当審における証人太田実の証言によると、女子大学卒業の学歴を有し、日付の記載のない遺言書は無効であることを知つていたエイは、右書面に日付を入れて貰いたい、との訴外太田実の再三の願いを無視して、遂に最後まで日付を記入しなかつたことが認められ、これらの事実からすると、エイは遺言としては勿論のこと、死因贈与などの意思をもつて右書面を作成して訴外太田実に交付したかどうかは極めて疑わしく、ほかに抗弁1の(2)を認めるに足りる証拠はない。

従つて右抗弁も失当であり、採用することができない。

(三)  抗弁2の(1)のうち本件死因贈与契約が負担付であり、解除に関する約定が付せられていたことおよびエイが昭和五二年四月二〇日、失火で死亡したことは当事者間に争いないが、その余の事実、すなわち右負担の内容が控訴人ら主張のように被控訴人らはエイの生活費、医療費、家政婦代を負担し、かつエイを看護、救護する義務を負うものであつたこと、被控訴人らは右費用の支払を怠り、また右看護、救護を怠つたためエイが失火で死亡したこと、すなわち被控訴人らに右負担についての不履行が存したことを認めるに足りる証拠はなく、かえつて〈証拠〉によると、

1  本件死因贈与契約には負担が付せられていたが、それは、エイの要請がない限り被控訴人らはエイとは同居せず、エイ宅の近所に住んでエイの身辺の世話をすること、エイの生活費は前記土地処分代金でエイ自らが支弁し、この金がなくなつたときは被控訴人らがこれを負担することを主な内容としており、死亡時までエイは自ら生活費を支弁することができたため、被控訴人らはその負担の必要がなかつたこと、

2  本件死因贈与契約が成立した後、直ちに被控訴人らは右負担約束を実行するため、エイ宅に近い東京都港区白金台二丁目九番三号のアパートを賃借して日野市からこれに転居し、その後しばらくの間、被控訴人太田静子は殆んど毎日のようにエイ宅に赴いて家事の手伝などをなし、その後も少くとも週二、三回はエイ宅を見舞い、昭和四八年一〇月にはエイの承諾をえて港区高輪三丁目七番一八号に転居し、昭和四九年一一月二四日頃、前記のようにエイは胃腸カタルにかかり、家政婦がエイの大小便の始末を厭がるので、その世話をするため、被控訴人らはエイ宅に同居してエイを専心看護し、エイが治癒した昭和五〇年五月中旬頃、同人の指示で再び別居するようになり、同年六月、被控訴人らは終世エイの面倒を見る覚悟を固め、前記日野市の自宅をも売却処分したこと、

3  エイは昭和五二年四月二〇日の夕方、前記自宅で発生した火災のため焼死したが、管轄消防署の調査結果によれば右火災はエイがベツドの上で煙草をすうためマツチをすり、それが毛布に落ちて発生したと推定されていること、

すなわち被控訴人らには控訴人主張のような約定の負担不履行は存しないことがうかがえる。

従つて抗弁2は他の点を検討するまでもなく失当であり、採用することができない。

五そうすると前記請求原因に基づく被控訴人らの本訴請求はすべて理由があることになるから、これを認容した原判決は正当である。〈以下、省略〉

(吉岡進 手代木進 上杉晴一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例